そうです。これは松本人志さん作詞、‘‘チキンライス‘‘の歌詞です。
「親孝行って何って考える、でもそれを考えようとすることがもう親孝行なのかもしれない」
しょっぱなからグッとくる歌詞ですよね。
今回語りたいのは、‘‘チキンライス‘‘のこのワンフレーズを深く掘っていこうという感じです。
紳助さんが言う、仏教の本質
いきなり話逸れすぎやろって思った方、、もうちょい聞いてください(笑)
松紳というトーク番組で、視聴者からこんな質問が来ました。
「お経を読むだけで数万円稼いで、ええ車とか乗ってるお坊さんってどう思います?
そんな贅沢する金あったら困ってる人に寄付しろって思います」
自分はこの質問を聞いた段階では共感しました。たしかにお経読むだけでいっぱい金もらえてええな~とか思ってました。
紳助さんの回答
「仏教というのは自分の心にするもの。手を合わせた時に心が穏やかになる。そこに極楽が生まれる。
パチンコ負けた時に‘‘お墓参り行こう‘‘とか思わんやろ。それは心が乱れているから。
でもある日突然‘‘長いこと行ってないから久しぶりに行こうか‘‘って思うときがある。
その時の心は穏やかで、そこに極楽が生まれる。もしそこでお墓参りに実際行かなかったとしても、‘‘行こうとそこで思った事に意味がある‘‘」
「仏壇の前に花を供えてるけど、ほんまに仏さんに供えているなら花は仏さんに向けて供えないとあかん。あんなもん仏さんからしたら葉っぱしかみえてへん。
拝む人の心に向かって花を供えている。だから仏教というのは、拝む人の心に極楽があり、仏がある」
なるほどなって思ったんですよね。自分は別に仏教徒でも何でもないですけど、
純粋にこの考え方は感銘を受けました。
この時松ちゃんは珍しく笑いなしで、なるほどなって感心していた様子でした。
チキンライスの歌詞がこの話から影響されていたかはわかりません、、でも自分は少し関係している気がしました。
親孝行
本題に戻りますが、親孝行ってなんでしょう。
高い食事に連れていくこと?孫つれてくこと?車を買ってあげること?
もちろん何か親にプレゼントしたり、肩もんだり、旅行に連れて行ったり、実際に行動に移すことが
一番やと思います。
でも「親孝行ってなんやろ、最近親と話してないな」とか思ったその瞬間、その心の変化に十分な意味があるんちゃうかって思います。
そういう考えに至るときって、親だけでなく、きっと自分の周りの人間に対する感謝の気持ちも溢れてると思います。それこそ穏やかな気持ち。
心が変われば行動も変わるって言葉がありますが、プレゼントってまずは相手への感謝の気持ちがないとできないですからね。
そういう意味では、親孝行って何?って考えることがもう親孝行なのかもしれないですね。
今日は2022年7月31日の真夏ですが、チキンライスを聞いて寝ようと思います。